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岐阜地方裁判所 昭和35年(わ)394号 判決

本店の所在地

岐阜市金宝町三丁目八番地

株式会社内一

(起訴当時有限会社内一商会)

右代表者代表取締役

竹嶋可ず江

竹嶋武男

本籍

同市弥生町一四番地

住居

同市金宝町三丁目八番地

会社役員

竹嶋武男

昭和二年七月三〇日生

右被告会社及び被告人に対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は検察官山岸赳夫出席して審理のうえ、次のとおり判決する。

主文

被告会社を第一の罪につき罰金一五〇万円に、第二の罪につき罰金二五〇万円に処する。

被告人竹嶋武男を懲役六月に処する。

被告人竹嶋武男に対し、この裁判確定の日から三年間右の刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人竹嶋武男の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告会社は昭和二二年有限会社内一商会の商号で設立せられ、昭和二六年本店を岐阜市弥生町一四番地に置き、主として室内装飾用品の販売を業とし、昭和四〇年二月組織変更をして内一商事株式会社と称し、更に同年九月商号を株式会社内一と変更したもの、

被告人竹嶋武男は昭和二四年頃被告会社の代表者で社長である竹嶋可ず江の養子となり、爾来右会社の業務全般を統括指揮し、株式会社に組織変更後は竹嶋可ず江とともに代表取締役になっていたものであるが、被告人竹嶋武男は被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、ことさら売上、仕入の一部除外、架空仕入の計上等の不正な行為により、

第一、昭和三一年一〇月一日から同三二年九月三〇日までの事業年度における被告会社の所得金額は金八一〇万四、一四〇円でその法人税額は金三二三万四、六六〇円であったのにも拘らず、同三二年一一月二九日、所轄の岐阜市千石町北税務署において同税務署長に対し、所得金額は金七六万八、八三七円で、その法人税額は金三一万二、一〇〇円である旨の過少の法人税確定申告書を提出し、よって被告会社の同事業年度における正規の法人税額のうち金二九二万二、五六〇円を逋脱し

第二、昭和三二年一〇月一日から同三三年九月三〇日までの事業年度における被告会社の所得金額は金一、五二九万一、三八四円で、その法人税額は金五八〇万五、四四〇円であったのにも拘らず、同三三年一一月三〇日、右所轄税務所において同税務署長に対し、所得金額は金一五九万八、七五五円で、その法人税額は金六二万二、三二〇円である旨の過少の法人税確定申告書を提出し、よって被告会社の同事業年度における正規の法人税額のうち金五一八万三、一二〇円を逋脱し

たものである。

(証拠及び被告人、弁護人等の主張に対する判断)

第一、判示事実中冒頭の事実及び被告会社が判示第一、第二の両年度の所得金額及び法人税額に関し、判示の如く各申告をなしたことについて

一、北税務署長作成の証明書二通(検察官請求証拠番号、以下証拠と略称、三と四)

一、岐阜地方法務局事務官作成の商業登記簿謄本

一、竹嶋武男作成の定款写し及び昭和四〇年五月六日付上申書

一、複記第三に掲記の各証拠

第二、別紙一(判示第一事実関係)及び二(判示第二事実関係)

各修正貸借対照表の各項目について

(イ)  全項目につき

一、第二三回公判調書中被告人竹嶋武男の供述記載(昭和四四年四月一九日付被告人等の冒頭陳述書に対する事実認否書に関する部分のもの)

一、同被告人の検察官に対する供述調書三通

(ロ)  別紙一の現金、普通預金、定期預金、通知預金につき

一、東海銀行岐阜駅前支店長作成の証明書(証拠五)

一、同銀行岐阜支店長作成の証明書(証拠一〇)

一、同銀行笹島支店担当者作成の証明書(証拠八)

一、同銀行木曽川支店長作成の証明書(証拠七)

一、十六銀行柳ケ瀬支店長作成の証明書(証拠六)

一、同銀行一宮支店長代理者作成の証明書二通(証拠九、一一)

(以上普通預金)

一、東海銀行岐阜駅前支店長作成の証明書(証拠二五)

一、十六銀行柳ケ瀬支店長作成の証明書(証拠二六)

一、同銀行徹明支店長作成の証明書(証拠二七)

一、同銀行起支店長作成の証明書(証拠二八)

一、同銀行大垣支店長作成の証明書(証拠三〇)

一、同銀行一宮支店長作成の証明書(証拠三一)

(以上定期預金)

一、同銀行柳ケ瀬支店長作成の証明書(証拠三六)

(右は通知預金)

(ハ) 同受取手形につき(後記争点に関する部分を除く)

一、被告人竹嶋武男作成の昭和三四年五月二六日付上申書(証拠一二五)

一、山本貞治、石山五郎、長倉正幸、中道信雄、富田勝三の検察官に対する各供述調書(証拠一〇四、九一、一〇五、九八、一〇八)

一、東海銀行岐阜駅前支店次長作成の証明書(証拠三八)

一、十六銀行柳ケ瀬支店長作成の証明書(証拠三九)

(ニ) 同売掛金につき

一、白方弘、吉田篤、長倉正幸、富田勝三の検察官に対する各供述調書(証拠一〇二、一〇三、一〇五、一〇八)

一、押収にかかる昭和ドレープの仕入帳(昭和四一年押第四七号符号一九)

(ホ) 同仕入前渡金につき

一、小森守一の検察官に対する供述調書(証拠九四)

(ヘ) 同貸付金につき

一、稲川亮一、脇田通郎、吉田篤、山本貞治の検察官に対する各供述調書(証拠九二、九三、一〇三、一〇四)

(ト) 同支払手形につき

一、服部武雄に対する証人尋問調書

一、山田陸一の検察官に対する供述調書(証拠一〇〇)

一、押収にかかる手形受払帳二冊(前同押号符号二と三)

(チ) 同買掛金につき

一、被告人竹嶋武男の昭和三五年二月二二日付同月一二日付各質問てん末書(証拠一二七)

一、服部武雄に対する証人尋問調書

一、杉田文治の検察官に対する供述調書二通(証拠四〇四一)

一、前掲記の証拠一〇〇

一、押収にかかる仕入帳三冊(前同押号符号四、五、六)

(リ) 同前受利息につき

一、大蔵事務官作成の前受利息計算調書(証拠一一八)

一、前掲記の証拠九三と一〇四

(ヌ) 別紙二の介項目につき

一、前年度関係の各証拠

(ル) 同現金、普通預金、定期預金、通知預金につき

一、東海銀行木曽川支店長作成の証明書二通(証拠一二、一三)

一、同銀行岐阜支店長代理作成の証明書(証拠一四)

一、同銀行名古屋駅前支店長作成の証明書(証拠一五)

一、同銀行船場支店担当者作成の証明書三通(証拠一六、一七、一八)

一、同銀行本店営業部預金課次長作成の証明書(証拠一九)

一、同銀行木曽川支店次長作成の証明書三通(証拠二〇、二一、二三)

一、同銀行一宮支店副長作成の証明書(証拠二二)

一、同銀行岐阜支店次長作成の証明書(証拠二四)

(以上普通預金)

一、十六銀行美濃町支店長作成の証明書(証拠三二)

一、同銀行加納支店長作成の証明書(証拠三三)

(以上定期預金)

一、東海銀行岐阜駅前支店長作成の証明書(証拠三七)

(右は通知預金)

(ヲ) 同受取手形につき

一、青山修、小林勇之助、森一太、大橋哲三郎の検察官に対する各供述調書(証拠一一二、一〇九、九六、一一〇)

一、前掲記の証拠一〇四と一〇八

(ワ) 同貸付金につき

一、岸司の検察官に対する供述調書(証拠九七)

一、前掲記の証拠九三、一〇三と一〇四

(カ) 同支払手形につき

一、平井武雄の検察官に対する供述調書(証拠一〇一)

一、前掲記の証拠一〇〇

(ヨ) 同買掛金につき

一、服部武雄に対する証人尋問調書

一、辻鎮雄の検察官に対する供述調書(証拠九五)

一、前掲記の証拠四〇、四一と九六

一、押収にかかる仕入帳三冊(前同押号符号七、八、九)

(タ) 同前受利息につき

一、前掲記の証拠九七と一〇三

第三、指定金銭信託預入金について

いずれも仮名による被告会社関係の預入額が

昭和三一年九月末現在 金五、五九〇万円

同 三二年九月末 金八、〇一〇万円

同 三三年九月末 金九、九〇五万円

昭和三二年九月末に至る一事業年度の増差額 金二、四二〇万円

同三三年九月末に至る一事業年度の増差額 金一、八九五万円

であることは

一、被告人竹嶋武男の検察官に対する第三回供述調書

一、東海銀行信託部長作成の証明書(証拠三五)

一、十六銀行信託部長作成の証明書(証拠三四)

によってこれを認めることができる。

ところで、被告人等及び弁護人は、検察官摘出の契約銀行株式会社十六銀行、扱先柳ケ瀬支店、昭和三六年七月一三日付犯則所得及び税額計算書記載第二の一の(一)の(4)の明細表番号23ないし49のうち28ないし38に掲記の元本合計金二、二一〇万円につき被告会社への帰属、また契約銀行株式会社東海銀行、扱先岐阜駅前支店、前同明細表番号1ないし9につき被告会社への帰属をいずれも争い、これに併せて右争のある分の合計額金三、〇一〇万円の信託相当利息金員の発生並びにこれが社長預り金として被告会社につき損金扱をなすべきか否かにつき争っているので、以下に検討する。

第二五回公判調書中竹嶋可ず江の供述記載、同女の検察官に対する供述調書三通、山本貞治に対する証人尋問調書、永井由信、永井俊行、近藤進、松井謙雄、野村利一、兵東善明、山本貞治、小林勇之助の検察官に対する各供述調書を総合すると、次の諸事実が認定される。

(一)  竹嶋可ず江は昭和一三年頃から永井由信の世話を受けて室内装飾品販売業を岐阜市弥生町一四番地で営んでいたが、今次大戦中の空襲による所有商品類の被災を避けて、昭和一九年中に、同市黒野洞に在住の松井謙雄方に荷馬車で二台か三台分の数量のカーテン類、絨を主とする繊維製品並びに家財道具を搬入して預けた。

(二)  右預けて置いた物品については、同女の指示により昭和二六年頃から漸次引取り、同女自身においてか又は昭和二四年三月養子に迎えた被告人竹嶋武男において予め同女の包括的な授権を得たうえでこれを処分換金した。ところで被告会社は昭和二六年頃から二九年頃にかけて、取扱商品であるモケット類の市況の好転により、とみに業績が急上昇し、営業の伸長に伴なって資金の多額化とその欠乏を来したため、経営一切を委ねられるようになった被告人竹嶋武男から可ず江に対し必要の都度、金五万円ないし十数万円、最多額で金一五〇万円位を支出してくれるよう申込み、その応諾を受け、前記疎開した商品は下記の書面骨董品の処分代金と共に右用途に換金利用された。

(三)  右疎開商品について竹嶋可ず江は、右のほか岐阜市司町名岐工業株式会社や揖斐郡揖斐米山金次郎方にも多量の同種物件を預けたといっており、竹嶋可ず江のこれら商品の疎開に関する供述を全部根拠がないとするも当を得ておらず、結局検察官の主張する品目、数量、単価に従い、その処分換価金を総合計で金九三二万七、二五〇円とするのは妥当であると解される。

(四)  竹嶋可ず江は、個人として、書画骨董並びに貴金属類を所有していたが、これを昭和二五年秋及び同二六年春の二回にわたり岐阜市内において骨董商野村利一に依頼して処分した。その換金額は当時で金三〇〇万円以上金四〇〇万円以下で、現在においてはそれ以上の詳細は判明しない。同女はまた右の当時に指環を知人二人に処分した。前者につき検察官は処分総額金三八五万円、後者につき検察官に対する第三回供述調書で金一二〇万円と述べているので二者の合計金五一五万円は、ほゞ相当と認めて差支ない。

しかしながら、本争点の判断に当って、前記のような資金源泉を供給した本人の竹嶋可ず江が、被告人等が本件の審理の過程で述べているように、同女に対する右出損金員の返済の目的のための前記二銀行に対する指定金銭信託金預入につき、当時全く知らなかったという事実は、極めて意味深長であるといわざるを得ない。同女が知らずにおったことは、同女の検察官に対する供述調書三通により明瞭にこれを指摘することができる。竹嶋武男の検察官に対する昭和三五年一一月一八日付供述調書第四項によれば、被告会社は右年次頃の前記指定金銭信託預入金員中約金三、五〇〇万円を更めて竹嶋可ず江名義に移したことが認められるが、その時期は同年春とされているのであり、右時期が本件逋脱に関する査察の後であることはいうを待たないから、右事実そのものは、前記竹嶋可ず江の当時の不知であった事実を裏書しているものと解することができる。

ところで、実質的に被告会社が余裕金として処分できる多額の資金中の一部を、会社の業績の発展に貢献した資金主に対して、返済の意図をもって処分並びに運用上配慮を加えて来たということは、資金提供者と受領者とが身分的に近接しているか又はその他密接な関係にあるような場合、殊に養母が会社の経営一切をその子に委託している本件のような場合には、一般にこれを否定できないことはもとよりである。しかしながら、そのような場合であればある程一層右配慮並びに適用が事の当事者におのずと知られて不思議はない訳であり、少くも問題が外部から指摘されゝば、むしろなかば防衛的に相互に知らしめ合う場合が考えられるのに、逋脱犯として捜査の対象とされながらなお相当長期間にわたってかような事がなかったというのは余りにも不合理であり、信託預金の契約口別の取扱をしておいたとか、貸借当事者間に明確な識別の資料を何らか残すとか、とにかく信憑するに足りる資料がなく、しかも指定金銭信託増加額に当る預入金員の取得源泉が被告会社の営業活動以外にないことが明瞭である以上、被告人等及び弁護人の主張する金三、〇一〇万円の資金帰属性についての抗争は全部理由がないと認められる。従って、右金額相当の金員は被告会社の資産性のある預金であり、これを計算の基礎として、検察官主張の簿外預入金をそのまゝ採って判示事実の認定の基礎としても、些かも不当ではないというべきである。

なお、右竹嶋可ず江の提供金の性質についてであるが、当裁判所は、本件逋脱の係争各年度に至る上記のような資金出捐の態様に鑑み、いまだもって消費貸借性の明白な金員の授受と認めるには支障があり、また返還義務を前提とした寄託でもないと認める。つまり代表者が個人資産を自ら経営する会社の企業資産に編入するだけの隠れた出資形態によるとでもいうべき特殊の出捐であって、その使用収益処分の権限は挙げて被告会社に託されるのであり、受領する被告会社の資金化こそすれ、明示もしくは黙示の約諾がない以上は利息金も発生しないと解するものである。従って、後記争のある二年分の受益金についても、これを社長借入金又は社長預り金としての処理が確定されるべき性質のものであるともいえず、また本件で問題とされている時期にその確定の手続がなされたものでもないから、結局、右項目のような捐金扱の科目の計上は真実に反し当を得ないものと考える。

もっとも、前掲記の竹嶋武男の検察官に対する第三回供述調書の第四項に記載のように、被告会社は後に金三、五〇〇万円の分だけ指定金銭信託預入金を竹嶋可ず江に名義を移した事実があるので、現段階の判断の様式としては、上記認定にかかる同女の出捐金一、四四七万七、二五〇円を、社長借入金として帳簿上記載するのを誤っているとするものではない。

第四、各期首、期末の商品在庫高について

服部武男に対する証人尋問調書によれば、被告会社の商品在庫高は、同人の認識で、昭和三一年九月末総額金二、二〇〇万円から二、三〇〇万円、翌三二年九月末総額金一、五〇〇万円から一、六〇〇万円、翌々三三年九月末総額金一、三〇〇万円から一、四〇〇万円、

青木真之の昭和四〇年七月二二日付証人尋問調書によれば、同様在庫高は、同人の認識で、三一年九月末総額金二、五〇〇万円から二、六〇〇万円、三三年九月末総額は公表(申告)額を十分に上廻る。

第一七回公判調書中証人河島晃の供述記載によれば、同様在庫高は、同人の認識で、三〇年から三一年にかけて総額金二、五〇〇万円から三、〇〇〇万円の間、三二年に総額金二、〇〇〇万円弱、三三年九月末総額金一、二〇〇万円から一、三〇〇万円、

横山高明、武市秀夫の検察官に対する各供述調書及び押収にかゝる被告会社の諸税申告書綴中公表在庫表九七枚綴、雑書類中在庫表二七枚綴(前同押号符号一二と一三)によれば、昭和三三年九月末の在庫総額金一、四七九万七、二〇五円の数額があること、

押収にかかる被告会社の諸税申告書控中の第九期決算報告書(商品科目)(前同押号符号一四)の記載によれば、被告会社の昭和三一年九月末の公表商品在庫高は金八二三万九、四九〇円、岐阜北税務署長作成の証明書添付の法人税申告書類(証拠三と四)によれば、昭和三二年九月末の申告記載額は商品在庫金一、〇二一万四、八八六円、同三三年九月末の前同額は金九〇八万六、〇五五円、

被告人竹嶋武男の検察官に対する第三回供述調書、押収にかかる金銭出納簿一冊(前同押号符号二五)によれば、在庫高の同人の認識は、三一年九月末総額金二、五〇〇万円から二、六〇〇万円、三二年九月末総額金一、五〇〇万円、三三年九月末総額金額三〇〇万円又は一、四〇〇万円、

別に第一七回公判調書中証人河島晃の供述記載、第二三回公判調書中被告人竹嶋武男の供述記載によると、被告会社は昭和三四年三月一一日商品在庫高の実地調査を行ったが、これによれば、同日現在で金六七六万三、六四三円が在庫高として把えられたこと、

一方、日本通運株式会社関係の土田正己、森義視、横山一繁、松井七三男の検察官に対する各供述調書、篠宮英至作成の上申書によれば、被告会社は日本通運株式会社の岐阜市内の倉庫を昭和三〇年八月頃から同三四年六月頃までの期間に賃借使用したが、その間に雨踊倉庫、吉野町倉庫、橋本町倉庫、加納新本町倉庫の順で同一時期に重複して利用したことはなく、濃飛倉庫運輸株式会社関係の松井忠太郎作成の上申書及び添付記録によれば、被告会社は昭和二八、九年に引続き同三〇年一〇月一九日にも右倉庫を利用したが、これには商品管理者として被告会社の社員の服部武雄名義で預っていたこと等の諸事実が認められる。

これらを総合すると、

昭和三一年九月末 総額金二、五〇〇万円、 内公表分金八二三万九、四九〇円

同 三二年九月末 総額金一、五〇〇万円、 内公表分金一、〇二一万四、八八六円

同 三三年九月末 総額金一、四〇〇万円、 内公表分金 九〇八万六、〇五五円

とするのが相当であり、これに従い、被告会社が簿外処理したものは、

同 三一年九月末の 金一、六七六万〇、五一〇円

昭和三二年九月末の 金 四七八万五、一一四円

同 三三年九月末の 金 四九一万三、九四五円

と各認定することができる。

被告会社の商品在庫高の把握につき、弁護人は、「被告人等の犯則所得の確定方法として、検察官は財産(増減)法に拠っているが、これによると脱漏資金の発生時期、その資金源泉の性質づけ、並びに被告会社が法人税法第九条の七第二項により届出てある評価方法(個別原価法による低価法)の実施上正確性を保つにつき、また旧法人税法第四八条の法意に従い所得の発生原因に詐欺その他不正な行為を要するとする建前の実行が、いずれも果しがたく、欠陥があるので、昭和三四年三月一一日の前記認定の在庫高を基礎とし、過去の期末の在庫高につき差益準を乗じて逆算したものが正しく、これによらなければならない」と主張する。しかしながら、所得額の算出に財産法、損益(計算)法のいずれを適用するも誤っていないことは一般に承認されたところで、財産法といっても期首期末の対象による増差をもって当該年度中科目ごとの変動を評定するものであり、個別の勘定の流動の過程そのものはそれにより表示されないが、年度を基準にして益金の額から損金の額を控除して所得金額を算出し、これを課税標準とする法人税徴収の基本の建前には些かでも外れることがないのはいうまでもないことである。小森守一、山田隆一、平井武雄、白方弘、吉田篤、山本貞治、富田勝三、小林勇之助の検察官に対する各供述調書(証拠九四、一〇〇、一〇一、一〇二、一〇三、一〇四、一〇八、一〇九)、並びに押収にかかる手形受払帳二冊、仕入帳六冊、納品書控綴二冊(前同押号符号二ないし一一)に明らかな被告会社の売上のことさらな簿外処理或いは架空仕入の事実がある以上、検察官が本件公訴事実の立証につき財産法を選んだとして何の違法事由もなく、これに更に損益法を加味して弁護人主張の逆算を施すのでなければ、判示認定事実に関する正確な資料が出揃わないというべきものではない。

弁護人はなお前記服部武雄の証言等に見られる架空仕入の意義につき、これを右用語の通常の用法に見られる、商品の裏付なくして架空に売上原価を水増し当該事業年度の課税利益の削減を図るための手段という意味に理解すべきものではなく、被告会社においては、係争事業年度以前に有することゝなっていた簿外商品が多量にあったため、これを順次公表の売上原価に算入し記帳の正常化を図る手段として仮装名義を用いたものであり、かような特別の含意のもとに理解すべきものであると主張するから、この点についても考えるのに、たしかに前認定のように、商品在庫高は年を逐って減少し、殊に昭和三二年九月に至る事業年度では大幅に減少している反面、簿外の支払手形と買掛金の合計額が右時期には余り変化のないこと、簿外の受取手形及び売掛金は年を逐って減少し特に昭和三三年九月に至る事業年度ではその減小が顕著であること、しかも受取手形と売掛金の合計の変動に対して支払手形と買掛金の合計の変動の方が大きいこと等を考えると、その主張及びこれに副う被告人竹嶋武男の供述を一概に根拠なしということはできないと考えられる。しかしながら、被告人等は架空性以外の争は別として、これらに各該当の勘定科目については、検察官の主張をともかく認めて争わないでいるし、各事業年度内ではそれぞれ大幅な前記判示の指定金銭信託預金の増加があることが指摘できるところ(第二四回公判調書中被告人竹嶋武男の供述記載)、右指定金銭信託預入額の増加がすべて簿外分を公表分に移した分のみによるものとも俄に断定できないうえに、前記のとおり財産法によるときは、むしろ商品在庫高の把握においてさえ過誤がなければ事犯の成否の判断には右主張の事実は全く関係がないといい得るので、結局この点の認定は単に犯罪の情状にのみかゝわるものと認めるのが相当である。

第五、本件第一年度の期首(昭和三一年一〇月一日)の受取手形に、更に松崎金属工業所振出の額面金一六万四、〇〇〇円なる約束手形一通が加わるべきか否かの点について

弁護人の主張に副うところの東海銀行岐阜駅前支店長小坂士一郎作成の昭和三七年五月一日付証明文書中の関係記載(代手番号五七四は合質会社松崎金属工業所関係の取立手形であり、支払銀行は三和銀行岐阜支店である旨のもの)は、同行同支店長横田儀男作成の名古屋国税局収税官吏宛の証明文書中の関係記載(被告会社の使用した架空名義である金森敏弘-虚名の点は被告人竹嶋武男の大蔵事務官宛昭和三五年三月一四日付上申書により明らかである-の普通預金口座に被告会社より支払期日である同三六年一〇月一〇日に金一六万四、〇〇〇円が入金した旨を述べるものと、摘要事項として十六銀行柳ケ瀬支店の表記があるもの)及び同行同支店次長真野正治作成の預り取立手形に関する証明文書中の関係記載(昭和三六年六月三〇日右手形の取立依頼があった旨のもの)に照らして信用できない。第一六回公半調書中証人山崎隆造の供述記載も右の認定を覆すには但りない。従って、弁護人の右主張は排斥を免れない。

第六、被告人等及び弁護人より昭和三三年九月末日における受取手形、売掛金、仮払金、商品勘定のうち特定のものを挙げていずれも損金に計上すべきものであるとして主張されているものについて

(一) 弁護人の主張する受取手形の債務者等のうち、ナイルトン装飾店及び三洲建材株式会社については、第一六回公判調書中証人東川俊憲の供述記載により、いずれも弁護人の主張の時期頃に倒産した事実を窺えないではなく、日本室内装飾株式会社についても青木真之の昭和四〇年七月二三日付証人尋問調書により、弁護人主張の時期頃の倒産を認めることができる。

しかしながら、倒産等によって貸倒れに帰し損失が確定したとされる主張の受取手形が、いずれも公表帳簿上に載せられたものであること(日本室内装飾株式会社からの受取手形二通合計金三〇万円については申告書付属書類の付属の内訳明細書にも明示されている)を考えると、この程度の立証ではいまだもって前記主張を容認するには足りないというのが相当である。けだし、法人がある期末に損金処理をしないで計上したものについては、既に損金発生が確定しているのにも拘らず経理処理を誤ったとか、又はこれに類する手続上の過誤で登載されたのならともかく、次期以降に損金と看做した時点において確定損金扱をすればよいのであり、またそれが経理処理者の真実の意図にもおおむね合致するものといえる。損金発生の時点にまで遡及して損金扱しなければならない特段の事由が稀にはあるであろうが、本件ではかような事由は一切見当らない。むしろ被告会社は、右問題の時期を隔ること五年余を経た昭和三八、九年に至って漸く損失確認に着手したものということができるものである。従って本科目の修正は認められない。

(二) 右同時期における売掛金中損金発生の有無について検討するのに、

五十嵐武次の証人尋問調書によれば、弁護人主張の、株式会社五十嵐商店の右時期における金四九万二、九三三円の被告会社に対する代金債務につき、金七、六〇六円の値引が確定的になされたこと。

山本貞治の証人尋問調書によれば、弁護人出張の、山本織物株式会社の右時期における金一八七万四、三六六円の被告会社に対する代金債務につき、金六万〇、六〇四円の値引が確定的になされたこと、

長倉正幸の証人尋問調書によれば、弁護人出張の、昭和ドレープ株式会社の右時期における金二二八万九、五五三円(公表額金二二九万四、七一三円)の被告会社に対する代金債務につき、金四〇万円の値引が確定的になされたこと、

藤田謙二の証人尋問調書によれば、弁護人在張の、藤田株式会社の右時期における金三〇四万三、九二八円(三〇四万二、九二八円は誤認による主張と思われる)の被告会社に対する代金債務につき、金一七万八、五六円の値引が確定的になされたことがそれぞれ認められる。

しかして、これらの値引は右被告会社の決算期にいずれも現実になされたものである。と認めることができる。右関係証人の検察官に対する供述調書等も右の認定を覆すには足らず、他に反証はない。

従って、昭和ドレープ株式会社に対する債権額の差額金五、一六〇円と右四件の値引額の全部の合計である金六五万一、四二六円を損金勘定に計上して差支えない数額であると認めるのが相当である。

その余の弁護人の主張事由(値引、返品等並びに倒産に基づく売掛金の損失の確定)は、いまだこれを証拠上認めるに足りない。日本室内装飾株式会社関係の損金、ナイルトン装飾店、三洲建材株式会社関係の損金の三件については、いずれも前項に記した倒産の推認資料があるが、これをもって前記時期に損金が確定的に生じたと看做すに足りるものとは認められない。富士製作所についても、第一六回公判調書中証人東川俊憲の倒産に関する供述記載があるが、同様の結論である。その余の件については、すべて明確な証拠がない。

(三) 仮払金の損金発生について考えるのに、第一六回公判調書中の証人杉田文治の供述記載によれば、弁護人主張の氏名別の使途による仮払金の各支出のなされたこと、並びにそのうちの税理士福田正夫に対する謝礼金五、〇〇〇円、社員水野俊彦に対する旅費と社員田島精二に対する旅費の三件については、いずれも雑費又は旅費への振替手続が事務上の手違いで遺脱されたことが推認でき、この認定を覆すに足りる証拠はない。しかしながら、その金額については、申告書添付の財務諸表中の内訳明細書(証拠四)により、水野分金四万〇、二六五円と、田島分金二、六八〇円と訂正すべきであり、これら三件分の合計である金四万七、九四五円は損金として確定しており、前記決算中より損金として控除を認めるのが相当である。その余の主張の三件については、使途の性質と損金経理に関する前の(一)項の説示の解釈に基づき、いまだ認めるに足りる十分の理由を備えていないと考える。なお列記の氏名のうち江上保は前記内訳明細書上「村上」である。

(四) 弁護人主張の廃物化による評価損の発生について考えるのに、青木真之の昭和四〇年七月二三日付証人尋問調整、被告人竹嶋武男の当公判廷における供述によれば、被告会社は昭和三四年六月頃に、土間積みの汚損による商品性の低下した手持商品を相当量処分したことが認められる。しかしながら、右汚損等評価額減少の事実に関し、これを生じた時期並びに汚損進行の程度のいかんについてはすべて不明で、右の時期に商品の相当の価値減少を見たからといって、同三三年九月末の決算時に右損失の発生を確定計上しなければならない特別の根拠は見当らず、右計上しないでいたのが経理処理上の手違い等の過誤によったものであるとの事由も証拠上これを認めるに足りない。従って、その主張額全部につき認容できない。

第七、未納事業税認定損について

第一〇回及び第一一回各公判調書中の証人前島登の供述記載並びに同人作成の未納事業税認定計算調書(一九八六丁)を、上記第三ないし第六に記した認定により修正すれば、昭和三二年九月期の前期分未納事業税認容額は金二八八万六、九八〇円、同三三年九月期の前期分未納事業税認容額は金六五万四、五三〇円であると認められる。(別紙三、四の未納事業税認定損計算書参照)。

第八、結論

以上の結果被告会社の昭和三二年九月期における所得金額は金八一〇万四、一四〇円、同三三年九月期における所得金額は金一、五二九万一、三八四円であるので、昭和三二年度については、法人税額は金三二三万四、六六〇円で申告納税額は金三一万二、一〇〇円であるから、被告会社は右年度につき正規の法人税額のうち金二九二万二、五六〇円を逋脱したものであり、昭和三三年度については、法人税額は金五八〇万五、四四〇円で申告納税額は金六二万二、三二〇円であるから、被告会社は右年度につき正規の法人税額のうち金五一八万三、一二〇円を逋脱したものである。別紙五、法人税額計算書参照)検察官主張のその余の逋脱額の証明はない。

(適条)

一、被告会社について。判示第一、第二の各事実につき昭和三七年法律第四五号による改正前の法人税法第五一条、第四八条第一項、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法第二条第一項。

二、被告人竹嶋武男について。昭和三七年法律第四五号による改正前の法人税法第四八条第一項(懲役刑選択)、刑法第四五条前段、第四七条本文、第一〇条(判示第二の罪の刑による)、第二五条第一項。

三、被告会社及び被告人竹嶋武男について。昭和三七年法律第四五号附則第一一項、昭和四〇年法律第三四号附則第一九条。

四、訴訟費用について。刑事訴訟法第一八一条第一項本文。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平谷新五 裁判官 岡山宏 裁判官 古屋昭)

別紙一 修正貸借対照表

昭和30年9月30日

〈省略〉

修正貸借対照表

昭和32年9月30日

〈省略〉

修正貸借対照表

昭和33年9月30日

〈省略〉

別紙二 修正貸借対照表

昭和33年9月30日

〈省略〉

別紙三 昭和32年9月期未納事業税認定損計算書

〈省略〉

別紙四

昭和33年9月期未納事業税認定損計算書

〈省略〉

別紙五

法人税額計算書

〈省略〉

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